福岡市議会にも議会BCP(業務継続計画)が策定されました。
阪神大震災以降、災害時に議会がどのように対応するのか指針を定める流れが全国的な潮流となりましたが、福岡市議会にはそれがありませんでした。
このコロナ禍で地方議会も影響を受け、それぞれの議会が会期の短縮や発言の制限など独自に対応してきたのは記憶に新しいところです。
福岡市議会も昨年の3月議会は会期短縮となりました。
 
実は、災害時の地方議会の役割や在り方は、憲法や地方自治法に明確に定められていません。災害対策基本法においても都道府県や市町村の権限は定められていても、地方議会における定めはありません。また、法制度上は災害対策本部に議員を入れる義務は課されていません。
要するに、これは私の勝手な解釈ですが、大規模災害時に議員に期待されることは無いということです。
もっと言うと、議員は期待されないどころか「おとなしくしていて」「じゃま」という声さえ聞きます。
地方議員というものは行政よりも地域に密着していますので、そこに住む人たちの困りごとが手に取るように分かります。ですので、その困りごとを執行部に伝え、対策を講じてもらえるように間をとりもつのは議員の本分とも言えますが、これを議員個人個人でやると執行部としては大きな手間どころか大きな混乱をきたすことともなりかねない。
大規模災害という全市的に対策を講じなくてはいけない中、極めて局所的な要求や要望を個別に聞いている余裕が執行部にあるわけもなく、執行部の本音として「議会や議員はじゃま」と考えられても致し方ないのかもしれません。
 
しかし、これは議会側の怠慢のツケが回ってきたとも言えなくはない。
2000年の地方分権一括法の施行により、地方自治体・首長の権限が強まった一方で議会はそれに対処する制度設計をしてきませんでした。中央集権の体制が長く続いたことにより、議会自身がその重要性に気付くのが遅くなってしまったのかもしれません。
 
戦後の日本では目を見張るような大きな災害が頻発したわけではないので、地方議会が主体的に議会の在り方を問うような場面は少なかったかもしれませんが、阪神大震災や東日本大震災、そして毎年のように起こる大規模な風水害や今回のコロナで地方議会もその存在意義を見直す必要性に迫られました。
行政主導の災害対応により「専決処分」が乱発され、復興計画や多額の災害対策予算が議会のチェックを受けることなく決まっていきました。有事こそ住民の声を反映させ、的確な対策をとらなければいけないにもかかわらず、ある意味「蚊帳の外」に置かれたわけで、議会の無力化を感じた地方議員も多かったと聞いています。
議員自身は「無力化」と感じたかもしれませんが、市民から見ればそれは「不必要」ということです。
健全な二元代表制を維持するためにも、有事こそ議会はその権限をフルに活用しなくては存在する意味がありません。
 
多様な人材によって構成され、地域に密着している地方議員は「住民の本当の要望」を知りえる立場にありますので、災害時に議員が行政に働きかけることには大きな意義があります。
しかし、そのニーズを届ける「経路」に問題があったといえます。議会BCPにより情報収集と意見集約のルールを明確化し、議会が統一的かつ規律的な行動をとることが可能となれば、災害時にはむしろ厄介とも捉えられかねない二元代表制も十分にその機能を果たすことができるのではないでしょうか。
 
これから夏にかけてまた災害が起こることが予想されます。福岡市には地震の脅威もつきまといます。
大規模災害発生時に「議会はじゃま」と言われないよう、今のうちから備えておかなくてはいけません。
コメントは利用できません。