「公職選挙法」とは、皆さん一度は耳にしたことがあると思います。
その響きから「選挙を取り締まる法律なんだな」ということは理解できると思いますが、じゃぁ具体的にどういう法律、というのは説明できないでしょう。
実はこの公職選挙法、現職の政治家でも理解していない人が多い。
制定されてから70年以上経ちますので(都度改正はされていますが)、現在の社会状況と合わないことも多く、悪いことをするつもりでもないのに「違反だった」なんてことはよくある話です。
 
「せっかく事務所構えたんで、目立つように名前を出しまくろう」
「政策を知ってもらいたいので、選挙前にはどんどんチラシを出そう」
「電話だと失礼だから、直接訪問して投票のお願いをしよう」
「投票率を上げるために、有権者を一度に投票所へ送迎しよう」
解釈によっては違反となります。
 
「選挙事務所を構えたので、ご近所に引っ越しそばでも持ってご挨拶を」
「選挙スタッフが一生懸命頑張ってくれたので、ご飯御馳走してあげよう」
「当選できたから、選挙スタッフの労苦に報いるため特別賞与を支給」
「選挙でお世話になった人に当選の御礼のお手紙を出さなくちゃ」
「選挙区内の支援者の方々に年賀状を出そう」
「近所で夏祭りがあるけど資金不足みたいだから、寄付でもしてあげようか」
弁解の余地なく違反です。
 
普通に生活していれば社会人として当然なことも、政治家がやると違反です。
ですので、何も知らない新人候補が社会常識的にやったことなのに、開票日の翌日には逮捕されてしまうという笑えない事態もあちこちで起こります。その候補にしてみれば不可解極まりないものでしょう。
 
上記のものを突き詰めていくと、要するに「金持ちが財力にものをいわせて選挙活動を有利に運ばないように」ということになります。
高い人件費で大勢の人数を集め、事務所ではいい食事を出して有権者に取り入り、物量作戦で個人名を売り込む、というようなことが無いように。
どんな人でも同等の条件下で選挙が行えるように配慮されたものです。
それは、いい。主旨としては賛同します。
 
問題は、あまりにもグレーゾーンが大きすぎる、そして地域によって選挙管理委員会や警察の判断基準が変わる。加えて有権者に浸透していないということです。
分かりやすい話が選挙事務所で提供できる飲食物。
食事に関しては一定の基準と制限が設けられていますが、お茶や茶菓子に基準は設けられていません。
麦茶は良くて玉露茶はダメ。コンビニのイチゴ大福はいいけど、と○やの羊羹はダメ。こんなことがまことしやかに言われていたりします。
一体どこで線引きすればいいのでしょうか。そして誰が判断するんでしょう。そしてそんなバカげた話、有権者はほとんど知りません。
他にも言い出したらキリがない。
前述の通り地域によって判断基準に差がありますから、グレーゾーンについて選挙作戦上の具体的な事案をここで書くのは控えますが、このグレーゾーンが大きすぎるから公職選挙法は時にザル法と言われ、時に「完全順守していたら選挙になんて勝てない」とも言われています。
 
因みにですが、私は法律に明るいわけでも一から公職選挙法を勉強したわけではありません。これまでの選挙経験や諸先輩の姿を見てきて、していいことと悪いことの知識を蓄えてきました。そして、その知識も福岡では通用しないなんてこともしばしば。それはそれで問題ですが。
 
普通の人達が日常生きていて「今日から選挙期間だから、あれができてこれができなくなるんだよね」なんて知る由もありません。
選挙前と選挙中のあのポスターの違いは?
選挙前から街宣車が走っていたけどあれは何?
「本人」ってタスキ、どういうこと?
「これは当選御礼はではなく事実の報告です」という回りくどさは何?
不思議なことだらけですが、不思議というだけで、はっきり言って日々の生活に関係ありません。
しかし、公職選挙法は政治家や候補者だけのものではありません。政治家を選ぶ側にある有権者にも十分かかわってくる法律です。
公職選挙法を理解してもらえれば、日ごろの政治家や候補者のやってる活動の意味も見えてくるかもしれませんし、政治家と言うものが縁遠い意味不明な存在から少しは身近なものと感じてもらえるでしょう。それに、候補者が順法精神に則って間違った集票活動をしていないのか、これは政治家の資質を見極める上で大事な基準となり得ます。
 
あくまで法律の範囲内であればグレーゾーンの間を縫って何とか他候補者より一歩前に出ようとするのは選挙候補者の本能です。
実際、私も秘書時代含めてそんなことばかり考えていましたし、今でも頭の中では常に片隅にあります。
しかし、グレーゾーンの曖昧な部分を拡大解釈し、それをいいことに「目立ったもの勝ち」「やったもの勝ち」「黙っていれば分からない」のような選挙手法がまかり通るのがいいとも思っていません。
公職選挙法というものをどう都合よく解釈したかが選挙の勝敗を左右する、というのは何とも「小手先感」が拭えませんが現実の話です。「いかに目立ったかではなくて政策で勝負!」と言うにしても地方議員選挙などでは争点を見出しにくく候補者間で政策に違いが出ないこともありますので如何ともしがたいところではありますが、理想論が許されるなら選挙とはそうありたいもの。
あまりにも独特過ぎて、時代錯誤で、理解不能な法律に縛られている選挙そのものが摩訶不思議となっていることが政治離れの一助になっているかもしれません。
公職選挙法をもっと政治家にも有権者にも理解しやすいものにして、誰が見ても聞いても単純明快というものになれば選挙に対する有権者の考えも変わるのではないかと感じています。
さらに言えば、もしかしたら若者の政治参加や候補者不足の解消にもつながるのではないかとも思います。
 
ただ、政治家が政治家自身を縛る法律を作るわけですから、どうしたってグレーゾーンが大きい曖昧なものにしかならないという意見もありますが。
 
 
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