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「なんか、選挙って気持ち悪いです」

衝撃的な言葉でした。これは、私が秘書時代に所属事務所でインターンとして来てくれていた学生の一言です。

話を進めてその真意を解きほぐしてみると、「サラリーマン家庭で育ち政治家になんて接したこともなく、政治家が毎日何をやっているかも分からず縁遠い存在だったけど、選挙が近くなるといきなり駅や公民館などで集会や演説会が始まり、名前を連呼する街宣車が町中を走りだし、目でも合おうものなら満面の笑みで近寄ってきて握手を求められよろしくお願いしますと懇願される。そして取り巻きみたいな人までもが熱くその政治家の良さを語りだす。集団催眠みたいで怖いし気持ち悪いです。」

※因みにこの学生は政治家にそんな偏見を持ってはいけない、と考えを改めて本当の政治家を知るためにとあえて政治家事務所にインターンに来ました。

選挙を生業としてきた身としては、その選挙を侮辱されたようで腹が立ちましたが、言われてみれば確かにそうかもしれない。結局は選挙に対する考え方の温度差です。

決起集会だって出陣式だってやるにはそれ相応の理由があります。支援者同士の一体感を強める、当事者意識を持ってもらう、集客をしてみることで自身の力量と知名度を測る、何よりも、それを開催してほしいと願う支持者がいる。問題は、そうやって候補者や支持者が一体感を培い盛り上がっている横でそれを滑稽と感じながら冷めた目で見ている人たちとの間に生じた温度差です。この温度差はどこから出てくるのか。一つの要因としてその選挙スタイルにあると私は思っています。

はちまきにタスキ、街の景観を無視したようなデカい看板と街宣車。さらに加えて出陣式に決起集会、陣中見舞や○○大作戦といった今の平和な日本にそぐわない「いくさ(戦争)」を連想させるあれこれ。

昔から選挙は「死者が出ない戦争」と言われていますし、議員やその秘書たち、そして応援してくれるスタッフも必死でやってますから、そりゃやることなすこと戦争とリンクしてしまうのも無理はないですが、平和に普通に暮らしている日常にある日突然大声でがなり立てる街宣車や熱気むんむんな街頭演説会や集会が出現すれば政治や選挙に何の興味もない人たちから見たらそれは怖いし気持ち悪いかもしれません。

余談ですが、選挙というものは陰湿なこともザラにあります。買収などのお金の汚い話は置いておくとして、怪文書やマスコミへの情報リーク、相手陣営が出したゴミ漁り(法律に抵触する恐れがありますので私はやったことはありませんが、ゴミを漁られないように一晩中ゴミ置き場を見張ってたことはあります)、公営掲示板(選挙ポスター)の破損、街宣車への細工(もちろん法律違反です)、対立候補スタッフを装った電話掛けや戸別訪問(当たり前ですが法律違反です)。そしてそういった不正の証拠をコツコツと集めるため張り込みや聞き込みをする警察。

物理的に目の当たりにする選挙スタイルに加えて、こんな都市伝説みたいな話が出回れば、そりゃ選挙のイメージが悪くなるに決まっています。

結局は温度差がいつまで経っても縮まらないため、投票率を40%とするなら、候補者というものはこの40%の奪い合いをすることになるわけです。この40%の奪い合いにどれだけ民主主義の健全性が宿っているのか、私は大いに疑問です。

その一方で、法律違反は論外として、「選挙とはそういうものだ」「選挙とはこうあるべき」「こうやらないと勝てない」と考えている人がいるのも事実。

実際のところ、「この選挙の手法は時代に合っているのか」と疑問に思う政治家は多くいると思います。例を言えば、これだけ生活が多様化し夜働いて昼寝ている人も珍しくないこの世の中で、未だに選挙(マイクを使った)活動は朝8時から夜8時までという縛り。環境問題を訴えながら、その反面大量の選挙ハガキや広報物などの紙媒体を消費する不思議。「夜勤明けでお昼に寝ている人に配慮して、私はマイクを使いません」「環境問題を考えて私は選挙ハガキなどの紙媒体を一切出しません」これでは選挙になりません。しかし、そんな違和感を感じながらも、それに代わる集票方法を見出すことができない。「選挙とはこうあるべき」と説く人に「いやいや、こうやったら(これをやらなくても)これだけ票は入るんですよ」と反論する材料を持たないため長年の手法が踏襲されることになる。さらに、法律上の制約も多々あります。公職選挙法とは集票手段を制約する法律ですので、自然と行えることが限られます。これも一つ代わり映えしない選挙スタイルの要因でしょう。そもそも、選挙の度に新たな試みがなされ斬新な手法が出ては消え、形を変え、を繰り返し結局淘汰されて現在のやり方で落ち着いている、という考えも成り立つかもしれません。

この時代に「選挙は戦争」とまでは言いませんが、立候補するにはそれ相応の覚悟が必要です。仕事を辞めて、退路を断って背水の陣で臨むなどはよく聞く話ですが、なかなか簡単なことではありません。そんな自分の人生を左右する選挙を社会実験的に行う候補者はなかなかいないでしょう。だから「こういうやり方をすればこれだけ票が入った」という選挙手法と投票行動の因果関係を科学的に分析するのは非常に難しい(ただ、評判の悪い街宣車での名前の連呼は、した場合としなかった場合ではした方が集票に効果があるという研究結果が出ています)。候補者のバックボーンも地域性もその時の政治情勢も違うので一概に手法を比較検討することもできませんし、何より「社会実験的」に選挙に立候補するなどとは有権者への冒涜(票を入れてくれた人に失礼)です。

そこで今回の北九州の市議選です。

コロナ禍のため、多くの候補者が集会や演説会を行いませんでした。有権者との対面での直接対話も限られ選挙につきものの握手もできず、マスクを着けているため顔も覚えてもらえず、緊急事態宣言中を考慮して街宣車の活動を制限した候補者もいました。東日本大震災直後の統一地方選挙も異例中の異例でしたが、今回もかなり特異なケースです。集会や演説会を行わないとどうなるのか、支持者は何と言うか、票がどう動くのか、誰にも予想できず暗中模索での選挙だったと思いますが、結果は興味深いものでした。他党の話にも触れることになるので開票結果については言及しませんが、一つだけ言うと投票率が上がったことは意外。これをどのように解釈すればいいのか。多くの人は緊急事態宣言下で投票率は下がる、と考えていました。それが1%とはいえ上昇。果たしてコロナ対策のため政治への関心が高まったのか、密を避けるため期日前投票というものがクローズアップされてそちらに流れたのか、そもそも前回が低すぎただけで別になんてことはないのか、どんな要因があるのか色んな意見があるとは思います。厳密に言えば、全候補者が同じ条件下での選挙戦となりますのでサンプルとしては弱いかもしれませんが、緊急事態宣言下という中での選挙戦が有権者の投票行動にどのように影響したのか、各候補者が取った手法と得票数にどのような関係性法則性があるのか、実際に戦った候補者や識者などにも話を伺い自分なりの答えを見つけたいと思います。

学生に「気持ち悪い」と言われてからもう10年以上も経ちますが、選挙のスタイルが特段変わったということはありません。「こうやればこうなる」といった選挙の方程式もありません。ただ、肌感覚ではありますが、選挙を冷めた目で見る人はジワジワと増えている気はします。もし選挙スタイルのせいで「気持ち悪い」という考えが一般の有権者に浸透していて選挙への関心や投票率の低下を招いているとするなら勿体ないことです。          

民主主義の根幹である選挙が有権者から「気持ち悪い」と言われてしまう社会に明るい未来があるとは思えません。「選挙とはこうあるべき」という先人の教えと今の時代感、市民感覚をうまく融合させた選挙の在り方を次の選挙までの2年間でじっくり試行錯誤していきます。

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