今日は福岡市で「はたちの集い」(成人式)が開催されました。
新成人の皆さん、おめでとうございます。
もちろん、コロナ対策を徹底しての開催。区によって時間帯を分けた2部制による開催など、この日を迎えるまで主催者(主に新成人による実行委員会)は大変なご苦労をされたと思います。本当にお疲れ様でした。
毎年、この時期になると、「最近の若者論」や成人式の在り方、そもそも自治体が開催する必要があるのか、などあっちこっちでかまびすしくなりますが、今年は特に考えさせられたのではないでしょうか。
コロナのリスクを冒してまでやることか、成人式なんて不要不急なのではないか、そんな声も聞こえてきましたが、あの新成人の晴々した顔を見るとやはり開催して良かったのではないかと思います。しかしその一方で、急遽中止、オンラインに変更、そんな自治体も多くありました。
また、同じ成人式でも「夢の国」を貸切って開催する市や、ヘリコプターに乗せてもらい自分の故郷を上空から眺めさせてくれる町、超高層ビルの地下1Fから60Fまで階段を昇らせてくれる市など、新成人に少しでも素晴らしい思い出が残るようにと、企画内容も自治体によって様々です。ただ、開催の可否からその企画内容まで自治体のオリジナリティがここまで前面に出てくるとなると、同じ年に生まれた新成人でも住んでる(住んでた)自治体で思い出作りに差が出てくるということになります。
これも大きく括れば行政サービスの地域差の一つと言えるのかもしれません。
行政サービスについては、保健や福祉、教育などの多くの分野で、全国で実施されるべき必要最低水準の内容が定められていますが、その他にも地方自治体は独自の行政サービスを追加することで、住民の福祉や教育環境等の一段の充実を図っています。
地方自治体の裁量で行政サービスを企画・立案し、実行することで、地域の特性を踏まえた最適なサービスが提供がされることが期待されていますので、これまで地方自治体の裁量を拡大する地方分権が推進されてきました。ですので地方ごとの行政サービスに一定の地域差が生じるのは当然と言えば当然です。
イメージしやすいところで言えば、それこそコロナ対策、子ども医療費や教育費の支援、学校の無償化、公有施設の利用、ゴミ処理などがあげられるでしょうか。
しかしながら、行政の財政力や首長の判断によって地域における行政サービスの機会の均等に著しく差が生じるのはやはり好ましくない。「独自性」が「格差」となってしまってはいけません。これについては地方税制にも大きくかかわることですから一概に論じるわけにはいきませんが、お金のある自治体(行政サービスが充実)にどんどん人口が集中し、お金のない自治体(最低限の行政サービス)からは人がどんどん減ってしまうという悪循環に陥る可能性は否定できません。
「自分のまちのことは自分で決める」と言うのは簡単ですしちょっと誇らしくもありますが、しかしその地方自治の大原則の裏にはこういった地域差というものを発生させる可能性も潜んでいます。地方自治を推進するということは行政やそこに住む住人にも責任が伴います。そしてその責任の行使の一環として首長や議員が選挙で選ばれているという事実を政治家は忘れてはいけません。
もちろん、どの自治体に住もうと必要最低水準の行政サービスは保証されていますから、現在の地方自治の制度上、居住地によって住民に過度の不利益が生じる心配はないのですが、その保証されている最低限の行政サービスにさらに上乗せされている自治体独自の行政サービスが果たして充実しているのか否か、他の自治体と比較(自治体間の行政サービス比較は意味を成さないという議論もありますが)してみるのもいいかもしれません。
まさか、「あっちの市の成人式は楽しそうだから引っ越す!」という新成人が多くいることはないでしょうが、新成人の皆さんにはこれを機会に、頭の片隅ででも「自分の住んでる街」の行政や政治家に思いを馳せてもらえれば嬉しいですね。